平安時代末期から室町時代にかけて、貴族の間で住吉詣や熊野詣が盛んになった、普通、山の木である藤は貴族達は屏風絵でしか見ることが出来ない。しかし「野田の藤」は船に乗ったまま実際に見ることが出来るので、住吉詣での途中、春の藤の季節には渡辺津から小船に乗り藤見物に来た貴族も多くいたであろう。

貞治三年(1364)4月、足利尊氏の子・室町幕府二代将軍義詮も住吉大社に参詣に行く途中、三津の浦から船に乗り田簑島に上陸しそこから南にある「野田の玉川」に立ち寄った。その川のほとりに藤の花が咲き乱れていたので、次の和歌を詠んだ。

紫の雲をやといはむ藤の花 野にも山にもはいぞかかれる

この和歌は、野田藤発祥の地とされている春日神社(大阪市福島区玉川2-2-7)境内に大阪市によって建てられた「野田の藤跡」の石碑の側面に刻まれている。

「野田の藤」が畿内一円の貴族の間で広く知られていたことを示す証左は、「義詮公住吉詣」以外にもある。後醍醐天皇の第5皇子・宗良親王が、義詮住吉詣の13年後に難波潟の入江に咲く藤を次の和歌に残している(『宗良親王千首詠歌』春歌第187番)   

いかばかり 深き江なれば難波潟 松のみ藤の 浪をかくらむ

 

足利義詮の和歌が刻まれた石碑(大阪市建立)
足利義詮の和歌が刻まれた石碑(大阪市建立)