豊臣秀吉の藤見物

文禄3年(1594)春、太閤秀吉は曽呂利新左衛門をともない、駕籠を巡らせ野田を訪れ藤見物したという。秀吉藤見物のことは春日神社に古くから伝わる『藤伝記』に次のように記されている。

文禄三年午春、太閤秀吉公、藤の花盛の節、古将軍(足利義詮のこと)にも古跡をしたひ給ひし地なれバとて、ひこばへの花ゆかしく思召、御遊覧ましまし、藤の庵におゐて御茶を催ふさせられ、藤の浪をなせるとあり。興に乗し給ひ、藤庵の文字を御傍に伺公せる曽呂利に仰せ付られ書せ、藤主へ下し給ふ。代々に伝へ、世の人知る所第一之什物也。又難波江流れの少し残りて義詮玉川とよミ給ふ池の形あるをめでさせ粭ひ、常々御信仰の弁財天女の尊像此所に安置し給へり。世の人信心によりて其利生明らかなり。此後の事にや、太閤の画像、何れの人納給ふと申事、当社の伝記にさだかならす」

秀吉が訪れたという「藤庵の庭」は、かつては春日神社の南の藤邸にあったが、「新なにわ筋」の建設にともない、大阪市によって下福島公園に移設された。

秀吉の藤見物の後、「吉野の桜・野田の藤・高尾の紅葉」ともてはやされ、藤の季節には見物の人で多いに賑わった。しかし、「野田の藤」の最盛期は秀吉の藤見物から、「大坂冬の陣」までのわずか20年足らずと短い期間であった。 

下福島公園「藤庵の庭」
下福島公園「藤庵の庭」

下は秀吉の死後、秀頼・淀君から春日神社に下賜されたと思われる「秀吉画像」(春日神社所蔵)。この秀吉画像は秀吉の没後間もなく描かれた画像の1つで、サンフランシスコのアジアンミュージアムや神戸市立博物館所蔵の画像と同一系統である。