江戸時代初期の野田藤

豊臣方と徳川幕府の決戦、「大坂冬の陣」(1614)の前哨戦「野田福島の合戦」において、野田村は池田忠継(ただつぐ)の軍勢によって放火され、藤の木も屋敷もろとも焼失した。以後、数十年間、この付近は古跡(廃墟)となり荒廃していた。

大坂の最初の地誌『芦分舟』(1674)に、その様子が次のように記述されている。「華やかな楼閣があった辺りは、人住まぬ野良となり小高い木々からはそこはかと藤が咲いている傍らに「藤庵」とよばれる小さなお堂があり、恵心仏の阿弥陀如来を安置し念仏修業者が修業をしていた」

 

江戸時代初期の野田の藤(「芦分け船」より)
江戸時代初期の野田の藤(「芦分け船」より)